まきえや

事件報告 大飯原発差し止め訴訟の第1回口頭弁論が開かれました

事件報告 市民の力で脱原発を!
大飯原発差し止め訴訟の第1回口頭弁論が開かれました

2度目の原発ゼロ

2013年9月15日、国内で唯一稼働していた大飯原発の4号機が定期点検に入り、福島事故以来、2度目の「原発ゼロ」となりました。はじめての「原発ゼロ」は、昨年5月のことでした。ところが数か月もたたないうちに、夏場の電力の供給不足などを理由に、大飯原発の3号機・4号機の再稼働が政治決定されてしまいました。未曾有の大事故を起こしたにもかかわらず、国や関西電力は、依然として国民の安全は後回しにして、原発推進を優先したのです。

大飯原発差し止め訴訟提訴

市民の力で脱原発を実現しようと、2012年11月29日、関西電力と国を相手に、大飯原発の差し止めと慰謝料を求める訴訟が京都地方裁判所に提起されました。原告は、京都府内を中心に17都道府県から集まった1107名の市民です。その第1回目の口頭弁論が、2013年7月2日、京都地方裁判所で1番大きな101号法廷で開かれました。

裁判所の異例の対応

提訴から第1回弁論期日まで実に7ヶ月、裁判所は原告の数の多さに異常とも思えるほどの警戒を示し、弁護団との間で何度も事前の協議を重ねていました。当日も、裁判所はこの事件以外の民事裁判の期日を全く入れず、いくつかある裁判所への出入口の一部を閉鎖し、動員できる限りの裁判所職員を警備に配置するなど、異例の警戒態勢で臨んできました。

弁論開始前、原告らは裁判所を取り囲むデモ行進を行い、報道関係者が見守る中、裁判所への入廷行動を行いました。ところが、公道でのデモ行進の段階から、裁判所の警備担当者は参加者のチェックをしていました。そして、「No Nukes」(原発反対という意味)という小さな英語文字がプリントされたTシャツを着ていた参加者に対し、裁判所構内に入らないよう告げてきたのです。ゼッケンやプラカードならともかく、Tシャツのデザインにまで目を光らせる裁判所の対応は行き過ぎというしかありません。弁護団の弁護士が直ちに抗議を行いましたが、裁判所はかたくなな態度を変えませんでした。

こうした一幕はあったものの、その後は大きな混乱もなく開廷を迎えました。そもそも、「脱原発」は、福島事故を体験した後の常識的な市民の願いであり、原告はそうした市民の集まりなのです。あたかも暴力的な集団であるかのように過剰に反応する裁判所の態度こそ、暴力的というべきでしょう。

大法廷を圧倒した原告の訴え

法廷では、原告側は弁護団も含め52人が原告席に着席し、傍聴席80席も全て満席となりました。それでも入りきれない原告のために、弁護団は隣接する弁護士会館のホールで模擬法廷を開催し、ここにも94名が参加しました。

まず、竹本修三原告団長・京都大学名誉教授が、専門家の立場から、地震国日本における原発の危険について、スライドを使って意見陳述を行いました。

弁護団からも、事務局長を務める当事務所の渡辺輝人弁護士ほか、私も含め合わせて6人が弁論に立ちました。法律家の立場から、福島事故がもたらした悲惨な状況を延べ、それでも「安全神話」から脱しようとしない国や関電の姿勢を問題にし、正義に基づいた歴史的判決を下すよう裁判所に強く求めました。

しかしながら、この日の法廷で大きな衝撃を与えたのは、福島から避難してきた2人の原告の意見陳述でした。自然豊かで穏やかだった生活が、突然の事故で180度変貌したこと、被曝から子どもたちを守るため避難を決断したものの、親しかった友人や親族と引き裂かれた喪失感、新しい環境での疎外感を味わっていること。静かに語られる被害の実態、そして多くの人生を狂わす原発はいらないという心の底からの訴えが、大法廷を圧倒しました。

市民の力を求めています

市民の力は、確実に裁判所を動かします。さらなる市民の力を結集するため、原告団・弁護団では、第2次訴訟の原告を募集しています。(連絡先:京都第一法律事務所 担当:小針 TEL:075-211-4411)皆様のご支援をどうぞよろしくお願いします。

[当事務所より参加の弁護団弁護士]

秋山 健司、浅野 則明、岩橋 多恵、大河原 壽貴、大島 麻子、尾崎 彰俊、谷 文彰、渡辺 輝人

市民の力で脱原発を!大飯原発差し止め訴訟の第1回口頭弁論が開かれました/弁護士 大島 麻子
「まきえや」2013年秋号