まきえや

高橋先生、4月から教壇へ復帰 ~新採教員分限免職取消請求事件、最高裁でも勝利~

[事件報告]

高橋先生、4月から教壇へ復帰 ~新採教員分限免職取消請求事件、最高裁でも勝利~

5年間の長い闘いでした

京都地裁・大阪高裁で勝訴し、2010年2月、ついに最高裁でも勝訴し、分限免職の取り消しが確定しました。

今から5年前(2005年3月)、京都市洛央小学校の教諭をしていた、高橋先生が、突然分限免職を受けました。理由は、「条件付採用期間中であり」「教員としての指導力が欠如している」というものでした。

しかし、その理由は、校長や教頭の一方的な見方に基づくもので、何の客観性も無かったのです。

原因は、国の教育行政にありました

「教育改革」といううたい文句で、文科省が、「指導力不足」を理由に、教員への管理統制を強めて以後、多くの教員が、学校を追われました。そして、そのターゲットの一つは、新規採用の教員に向けられていました。採用後の1年間は、条件付採用期間とされているため、身分保障が及ばないとして、十分な理由をつけずに辞めさせることができる、とされてきたのです。こうして、若い教員は、長時間酷使され、試され、そして切り捨てられてきました。組合などには近づかないよう指導もされてきました。

しかし、そのような教員政策は明らかに誤っており、その誤りが裁判で断罪されました。

判決は、新採教員の権利と身分保障を明らかにしました

裁判所は、文科省が押し進めてきた新採教員への乱暴な身分剥奪が誤りであり、重大な問題のあることを、明らかにしました。

新採教員にも法律的にきちんとした身分保障が認められていること、指導力に問題が見られても、それは新採故のことであり、免職の理由とはならないことを明らかにしたのです。

最高裁判所は、大阪高裁の判決を全面的に肯定したのですが、高裁の判決は、次のように指摘しています。

新採教員の分限免職が認められるためには、・学校側が適切な指導・支援態勢を整え、本人に改善へ向けて努力する機会を付与すること ・整合性・統一的な評価基準が存在すること、が必要不可決だとしました。

そして、評価をするについては、・個々の事象に過度にこだわらず、一定の時間の経緯の中で行うこと ・教員の児童への指導は裁量の余地があるので、主観の入りやすいものを避けること、・客観的で安定した方針のもとで、今後の研鑽によっても、適性が備わることが困難かどうかを検討することが必要だとしています。

こうした要件は、新採教員の権利と身分を守る上で、とても大切なことです。新しい先生への指導・支援を放置して、課題だけを与え、長時間勤務をさせていることや、何の基準も持たずに恣意的に評価していることに厳しい警鐘を鳴らしたのです。

管理職の主観性・恣意性にこそ問題があった

本件でもっとも印象的であったのは、管理職らの原告への評価について、厳しく断罪していることです。判決は管理職らの評価について、「根拠もなく断言」「記録と異なる理由づけ」「教員評価に影響のないことを処分理由に列挙」するなど、「客観的に合理性を有するか疑わしい」と指摘し、管理職の評価は、恣意的で誤っていることを指摘したのです。

教育委員会は、管理職の述べることだけを根拠に処分を強行してくることが多いだけに、それこそが問題であることを端的に断罪していることはきわめて印象的です。

この判決の光をすべての学校に

判決は、高橋先生の働き過ぎが、「うつ病」を引き起こし、それが指導力に影響を与えた可能性を示唆しています。どの学校でも、新採教員は、即戦力として、長時間労働のるつぼに放り込まれます。指導力を身につける余裕や、子ども保護者とふれあう機会が少ないまま時として放置されます。それでいて、心身を病んでしまったら、たまったものではありません。そして、それは新採だけにとどまらず、今全ての教員が置かれている問題状況でもあります。

裁判所の判断は、教員のSOSをしっかりと受け止めてくれました。この裁判所の判断を、全国の教育現場を照らすひかりとすることが今ほど求められている時はありません。

勝利報告集会

担当弁護士 村山 晃
岩橋 多恵
渡辺 輝人

「まきえや」2010年春号