青年気象予報士のいのちを奪った責任を追及~
ウエザーニューズ過労自殺損害賠償請求事件を京都地裁に提訴~
Aさんは、今から2年前の2008年10月2日、わずか25歳で自ら生命を絶ちました。月200時間を超える長時間残業が続き、上司から厳しく叱責される中で、どんどん追い詰められた結果でした。若い人が、こうした過酷な労働の犠牲になり、自らの命を失うというこの事件は、今の日本社会の大きな病理現象です。
ウェザーニューズという会社の名前は、どこかで耳にされたことがあると思います。どこのテレビを見ても、天気予報のほとんどは、ここの会社が関与しています。今や、日本でもっとも大きな気象予報会社になっています。しかし、その裏では、労働者への過酷な仕事の強要があり、それが会社を支えてきていることが、この事件から見えてきます。
Aさんは、京都で生まれ、京都の大学を卒業したあと、かねてよりの夢であった気象予報士試験に合格します。そして、ウエザーニューズが、自分の夢をかなえてくれる会社であると信じ、2007年6月、会社から内定通知をうけ、契約社員として勤務した後、2008年4月より正社員として勤務するようになりました。
人一倍真面目に、熱心に業務に取り組んだことは言うまでもありません。しかし、その結果、会社から強いられた長時間残業は、6月には、200時間を超えます。7月は、ピークで232時間54分になります。8月185時間30分、9月162時間32分と長時間残業が続いたのです。
早朝から深夜まで業務に忙殺され、休憩や休日も満足に取れず、心身が休まるゆとりはまったくありませんでした。
こうして会社に身も心も捧げることを余儀なくされる一方、会社は、本人を突き放し、さらなるプレッシャーをかけます。上司は、Aさんに、「なんで真剣に生きられないのか」、「何のために生きているのか」、「なんでこの会社にきたのか。迷い込んできたのか」などを問いかけ、本人の人格へも攻撃をかけ、会社が期待する「社員像」に無理矢理持って行こうとするのです。
亡くなる2週間ほど前、Aさんを気遣った同僚が、上司に「A君が死ぬことを考えるほど悩んでいる」ことを伝え、善処を申し出たのですが、「そういって甘えているだけ」と突き放されています。
この会社が、何らかの労働時間管理をしている、あるいは、健康管理をしているという形跡は、まったく見えません。異常な長時間労働、休憩・休日も満足に与えられず、ストレスフルな仕事を与え、かつ労務管理上も種々のストレスを与えてきました。労働時間管理と健康管理の懈怠による安全配慮義務違反は明白です。
Aさんの遺族は、ウエザーニューズに、勤務時間はどうなっていたのか、健康管理はどうなっていたのか、労災とは考えていないのか、と問いかけました。会社は、自身が把握している勤務時間は明らかにしてきましたが、きわめて不十分で不正確なものでした。それ以上明らかにしようとしませんでした。また、死亡したことに何の誠意ある対応もしませんでした。
遺族は、やむなく、千葉労働基準監督署に、労災申請をしました。私は、日弁連の仕事をいろいろしていましたので、機会をつかまえて、千葉の監督署に赴きました。申請からわずか8ヶ月で認定が下りました。短期間で過労自殺の労災認定がされたことは画期的でした。
しかし、それでも、会社は、責任を認めません。
お母さんとお兄さんは、会社を相手に訴訟することを決意し、10月1日の法の日(註)に訴訟提起しました。翌日の新聞は、大きく報道しました。Aさんの命日でした。会社の責任を明らかにすること、それは、残された人たちへの補償をきちんとさせることと、2度とこのような事件を起こさせないこと、そのため日本社会の働かせ方を変えること、そんな重要な意義を持った裁判だと思っています。
註:「法の日」は、1928年10月1日に陪審法が施行されたことによって、翌1929年から10月1日を「司法記念日」と定めたことに由来します。また、1947年10月1日は、最高裁判所発足後、最高裁判所で初めて法廷が開かれた日です。
担当弁護士 村山 晃
同 谷 文彰