まきえや

99.9%の壁を破って~無罪判決の獲得~

[事件報告]

99.9%の壁を破って~無罪判決の獲得~

はじめに

日本の刑事裁判では有罪率は99.9%であると言われています。周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」を見られましたか?この映画は、若い男性が満員電車の中での痴漢容疑をかけられ、逮捕・勾留され、取調べを受けて、起訴されて裁判になり、公判から判決へと展開していきますが、今の日本の刑事裁判の現状を実にリアルに描いています。起訴されれば、ほとんどが有罪になってしまうというのは、公訴官である検察官が優秀であるという見解もありますが、それに尽きるものではなく、自白偏重・客観的証拠の軽視や無罪判決を下すことに対するためらいなど、現代司法の構造的なものがあると言わざるを得ません。

今回は、臨床検査技師であるMさんが行った超音波エコー検査が強制わいせつにあたるとされ、起訴された事件を担当することになりました。事件から約1年経過した昨年12月18日京都地方裁判所で無罪判決の言渡を受け、検察官が控訴を断念し、今年1月4日に無罪判決が確定しました。「有罪率99.9%の壁」を破ることができました。

事件の概要

Mさんは、京都市内では有数の大病院に勤務するベテランの臨床検査技師で、主に超音波検査(エコー検査)を専門としていました。超音波検査に関しては、関西では屈指の優秀な検査技師で、医師とともに検査方法の研究、論文の執筆なども行っていました。Mさんが下腹部痛を訴えてきた女性患者に対して、会陰走査(えいんそうさ)という検査(お尻にプローブという検査器具を押し当てて直腸付近を観察する検査)を実施したところ、プローブをお尻から局部に至るまで動かしてわいせつ行為に及んだとして強制わいせつ罪に問われたという事件でした。

捜査の経過

女性患者が検査を口実にわいせつ行為をされたのではないかという疑念から警察に告訴したのが捜査の始まりでした。Mさんは、平成17年12月18日京都府警中立売署に呼び出され、午前9時半からいきなりポリグラフ検査(ウソ発見器)にかけられ、午後からは本格的な取調べを受けました。担当刑事は、Mさんが検査にかこつけてわいせつ行為をやったと決めつけ、自白を強要してきました。Mさんは、正当な検査を行っただけと弁解しても、刑事は聞く耳持たずで、押し問答が続き、午後9時半頃にはMさんはいつ帰れるかわからず、精根尽き果てた絶望的な気持ちになり、刑事に言われるままに「自分のやった事」と題する自供書を書かされました。捜査機関が客観的な証拠に基づかず、自白を獲得することを最優先とする、典型的な冤罪捜査のパターンと言えるでしょう。

年が明けた平成18年1月24日、Mさんは通常逮捕され、家宅捜索を受けました。26日勾留がなされると同時に大阪の清水英昭弁護士と私が弁護人となり、連日にように中立売署に接見(面会)に行きました。その日の取調べの内容を聞き出し、刑事が何を考えているかを分析し、自白を取られないようにアドバイスしたり、励ましたりしました。勾留期間は20日に及びましたが、途中でMさんは体調を崩したこともあって何度も自白しそうになりました。しかし、その都度、一旦自白調書を取られると裁判で無罪になることは難しいから、絶対に自白してはいけない、頑張りなさいと励まし続けました。その甲斐あって、Mさんは逮捕勾留されてからは、自白調書は取られることはありませんでした。

私は、弁護人として、女性患者の直腸周辺の病変の有無を解明するために会陰走査が必要であったこと、当該病院においてはMさんが中心となって会陰走査が度々実施されていたこと、女性患者が訴えた後に設置された病院内部の調査委員会ではMさんの検査は正当なものであってわいせつ行為とはいえないとの結論が出されたことなどについて、担当検察官に2回にわたり意見書を提出して、本件は嫌疑がないので不起訴にするように要求しました。しかし、2月14日付けで公判請求(起訴)されてしまいました。

争点と証拠

裁判での主な争点は、(1)女性患者に会陰走査をする必要があったのか、(2)Mさんが行った会陰走査は適正な方法であったか(お尻だけでなく局部に至るまでプローブが動かされたか)という点にありました。

検察官の立証としては、(1)に関しては超音波検査を専門とする医師の供述、(2)に関しては女性患者の供述が中心的な証拠でした。さらに、会陰走査の前後におけるMさんの行動が、わいせつ行為を推認させる間接事実(例えば、不必要にブラジャーを外すように指示した、タオルを掛けて胸や臀部を隠さなかった、検査途中で検査室に入ってきた同僚の女性技師がわいせつ行為と思って驚いた)として主張され、そうした間接事実についても女性患者の供述、同僚の女性検査技師の供述が証拠とされました。

公判前整理手続

裁判の審理は、Mさんが逮捕段階から否認していたことから、公判前整理手続に付されました。この公判前整理手続というのは、新しく導入された制度で、2年後に実施される予定になっている裁判員裁判を行うためのもので、公判の審理を継続的、計画的かつ迅速に行うために、事件の争点と証拠の整理を行うものですが、前倒しで平成17年11月から実施されていました。この手続になると、集中審理を行うことになるので、弁護人の負担が大きいのですが、弁護側にとっては、検察官が証拠として請求するつもりのない手持ち証拠(この中には被告人の無罪を裏付ける証拠が隠されていることがあります)を開示させることに意味があります。公判前整理手続は3月22日から6月1日まで合計5回にわたって実施されました。

弁護側からの証拠開示請求としては、初めに検察官が請求した供述調書作成者の他の供述調書全部、被告人の供述調書全部、事情聴取を受けた病院関係者の供述調書全部、病院の内部調査結果・報告書等の文書、被告人に対するポリグラフ検査結果の開示を求めました。すると、開示された女性患者の供述調書の中に、女性患者が事件当日に帰宅後、本件に関するメモを作成したという記述が見つかりました。そこで、直ちに、この「メモ」についても証拠開示を請求しました。開示された「メモ」には、女性患者自身の自筆で、検査の状況が詳しく書かれていました。ところが、そのメモには、事件の核心部分である「プローブを局部にまで当てられた」という記述は全くなく、単にプローブをお尻に当てられたとしか書かれていませんでした。その他にも、検察官調書で書かれている重要な間接事実が全く記載されていなかったり、あるいは、微妙にニュアンスが変わったりしているような部分が多数認められました。弁護人から見る限り、「メモ」に書かれていることが事実であれば、決して、犯罪になるような事実はありませんでした。また、開示された証拠の中に、検査直後に女性患者からのクレームに対応した看護師と病院職員の供述調書がありましたが、それらの供述調書にも女性患者が「プローブを局部に当てられた」と訴えているというような供述は全くありませんでした。このように証拠開示で次々と弁護側にとって有利な証拠が発見されたのです。

公判審理

公判審理では、検察側から、(1)女性患者、(2)検査の途中で検査室に入ってきた女性検査技師、(3)超音波検査の権威といわれる医師が証人として呼ばれました。 ところが、女性患者は、検察官調書よりもさらにわいせつ行為に傾くような証言を始めました。また主尋問と反対尋問とで異なることを答えました。どうして、検査当日に作成したメモにプローブを局部にまで当てられたということを書かなかったのかと質問すると、「忘れてしまいそうなことをメモに書きました。絶対忘れられないような出来事はメモには書いていません。」と言い出しました。次に出てきた同僚の女性検査技師は、弁護側の反対尋問では、被告人がわいせつ行為をしているとは思わなかったと証言しました。そして、超音波検査の権威の医師は、超音波検査について長年研究してきたが、会陰走査は一度もしたことがないと証言し、会陰走査をどのように行うのか、それによってどのような画像が描出されるのかも分からないという始末でした。Mさんが撮影した女性患者の腹部の超音波写真を見ても、主尋問では直腸は写っていないと証言していたのにもかかわらず、反対尋問ではMさん自身から「この部分が直腸ではないですか。」と指摘されると、「そう言われればそうかもしれない。」と証言を変遷させました。

弁護側の立証としては、証拠開示で出てきた「メモ」を始めとする有利な証拠を提出したほか、会陰走査が有用な検査であることを裏付ける論文・文献を書証として提出しました。また、当該病院の数名の医師を証人として申請し、(1)会陰走査が痛みも負担も与えない、リアルタイムで結果を得ることのできる有用な検査方法であること、(2)当該病院では会陰走査の有用性に着目し、積極的に検査に取り入れてきたこと、(3)下腹部の痛みを訴えている患者で通常の腹部走査では異常が見つからなかった本件では会陰走査は必要であり、実施したことに何ら疑問はないこと、(4)Mさんが超音波エコー検査技師として有能な技術をもっており、日常の勤務においては真面目であったこと等を証言してもらいました。

判決

このような審理経過でしたので、私は無罪になるだろうと思いましたが、映画「それでもボクはやっていない」を見ればわかるように、日本の刑事裁判では 99.9%の有罪率であり、無罪判決を下す「勇気」のない裁判官が多いことから、最後の最後まで不安でした。判決言渡直前は緊張しましたが、「被告人は無罪」という裁判長の言葉を聞いて、うれしさの余り、思わずガッツポーズが出てしまいました。

判決では、女性患者の証言については、「到底納得のいく説明とは言えない」「被告人に対する悪感情、時間の経過等が要因となり、表現が誇張されたり、記憶が変容した疑いが濃厚であって信用性はない」とされました。

最後に

Mさんとしては、腹部エコー検査で患者の直腸に肥厚を認めたことから、直腸ガンなどの病変の可能性があり、それを見極めようとしたのです。その検査としては、内視鏡検査やCT検査もありますが、苦痛を伴ったり、改めて予約を取り、高い費用がかかることから、特に費用もかからず、苦痛のないエコー検査である会陰走査を実施したのです。臨床検査技師には内視鏡検査やCT検査はできません。できるのはエコー検査のみですから、その技能が卓越していたMさんは何とか早く見極めたいという思いが強かったのです。それが災いしてしまいました。ただ、Mさんに反省すべき点があるとすれば、検査前に検査の方法と必要性を患者さんに丁寧に説明して納得してもらうというインフォームド・コンセントが不十分であったことでしょう。また、検査自体も単独で行うのではなく、複数で実施すべきでした。一日にたくさんの予約検査に加えて緊急検査が入ってくるので、やむを得ず、一人で実施したという事情もありました。

公判審理での検察側証人は総崩れの感がありました。京都地検の次席検事は、「控訴しても原判決を覆すだけの証拠がない」とコメントして控訴断念を表明しました。もともと、捜査担当の検察官が女性患者の訴えを鵜呑みにするのではなく、それを裏付ける客観的証拠の吟味を十分にしていれば、起訴に至らなかったのではないかと思います。

今回の事件で、検察側証人を弾劾することができたのは、病院を説得して、その協力を取り付け、病院関係者の誰が事情聴取を受けたのかという情報をすべて把握することができたことが大きな要因でした。また、多くの病院関係者に証人として法廷に立ってもらえたことも大きかったと思います。そこに、公判前整理手続での徹底した証拠開示が加わり、弁護側としても多くの武器を持って、公判審理に臨むことができました。そして、何よりもMさんが無実であるという真実が存在していたことが一番大きな勝因だと考えます。無罪判決が確定した今、Mさんは職場に復帰して、再び超音波検査の技能を活かして、医療に貢献しています。

「まきえや」2007年春号