中国残留孤児京都訴訟、いよいよ結審へ 裁判で勝利して失われた60年を取り戻そう
進む全国の裁判、京都の裁判
戦後中国に取り残され、長い間日本に帰ることが出来なかった中国残留孤児問題は、これまでに何度か、「まきえや」で紹介してきましたが、この一年間の間に、大阪地裁の判決が出され、先日、残留婦人の事件でしたが、東京地裁の判決が出され、いずれも原告側が敗訴しました。そのことから、今後の展望が、原告である孤児の人たちも含めて大きな関心事となっています。
しかし、今、全国各地で裁判が着々と進み、大阪地裁よりも一歩早く提訴した京都地裁でも、証人調べが終わり、近く、結審・判決を迎えようとしています。東京地裁の原告1000人を超える大型事件が5月に結審し、神戸地裁が7月に結審します。
すでに15の裁判所で2200人を超える人たちが裁判を起こしていますが、今年は、多くの地域で一斉に判決に向けて動きが強まると言って良いでしょう。
私たちは、この間の二つの敗訴判決はあったけれども、これらは必ず乗り越えられるものだと確信を強めています。孤児の人たちが長年にわたり、あまりにもひどい状況に置かれてきたことを考えれば、勝訴判決が出されて当然だと思うからです。
大阪地裁や東京地裁の判決は、原告の請求を退けるものでしたが、いずれの判決も、中国に戦後長年取り残された日本人が大きな被害をこうむっていることや、国の施策が極めて不十分であったことを認めたものでした。裁判所が、原告の請求を退けたことについては、各地の新聞は、厳しくこれを批判し、救済を急ぐべきことを指摘するなど、世論は、孤児の人たちにエールを送っています。
孤児の人たちの窮状とその原因
「孤児」と言うものの、戦後60年以上が経過し、皆さん方は、高齢であるうえ、日本語が十分使えず、日常生活に大変苦労しています。また、長年中国にいて、体一つで帰ってきたため、何の蓄積もなく、年金も支払ってもらえないため、困窮にあえいでいます。そんななかで、懸命にこの裁判を闘ってきました。
私たちが、何よりも強調したいことは、原告らが孤児となったことについて、また、半世紀に及び、帰国できなかったことについて、孤児には、何の責任も無いということです。
他方、国は、侵略して作った満州に多くの日本人を送り込み、戦後は、半世紀もの間、日本人を、中国に置き去りにしたのです。そして、ようやく帰国した今なお、十分な保護を与えず放置したままなのです。
憲法が生まれて60年、ずっと憲法の光があたらず辛い日々を送ってきた孤児の人たちに、せめて老後の安らぎを、人間らしく暮らせる日々を、それはやはり誕生して60年を迎える「憲法」を、この国に生かすために、どうしてもやり遂げないといけない国の責務です。
最後の人権の砦である裁判所は、憲法をこの国に生かすために、毅然として原告勝訴の判決を書くべきです。私たちの力で書かせないといけません。
今なお続く「反中国政策」
孤児の人たちが長年中国に置き去りにされたのは、日本の戦後一貫した反中国の政治があったからです。自民党政治は、中国を国と認めず、国交断絶が続きました。大きな侵略の足跡についても、何の補償もしてきませんでした。
中国にとっての日本は、侵略者であり、略奪者であり、戦後一貫して差別視し、敵視政策を取ってきたどうしようも無い国です。そんな中で日本人孤児たちは、孤軍奮闘してきたのです。そして心ある中国の人たちに助けられて生活をしてきました。
必要なことは、そうして暖かく支援をしてくれた中国の人たちへのきちんとしたお返しです。ところが反中国キャンペーンは、とどまるところを知りません。小泉首相は、中国の人たちがどれだけ心を痛めているのか、我関せず、未だ靖国参拝を止めようとしません。
この裁判は、これからの日本のありようが問われている
この裁判は、こうした戦争前の中国侵略政策、その延長上の「満州国」の設立、そして破壊の限りを尽くした第二次世界大戦、敗戦の後、多くの日本人民間人を置き去りにした「棄民政策」、その後の反中国政策とその犠牲になって長期間放置された孤児の人たち、日中国交回復後も、極めて消極的であった受け入れ政策等々、日本の政治のありようそのものが問われています。そして、今後、きちんとした措置がとれるのかどうかは、日本の政治のありよう、人権のありように大きな影響を与えることでしょう。
今年は、憲法60年、孤児問題も60年を超え、本当の意味での正念場です。力を合わせて勝訴判決に進みたいものです。