まきえや

「半鐘山」の緑と住環境を守る

「半鐘山」の緑と住環境を守る

「半鐘山」に開発計画が

銀閣寺道から北東に入った白川と閑静な住宅地に囲まれたところにある1000坪足らずの小さな里山が、東山36峰の1つ、北白川山、通称半鐘山です。ずっと以前は銀閣寺の所有地であったようですが、とうとう開発業者の手に渡り、山を開発して、13戸の住宅地にする計画を業者(株式会社幸田工務店)から住民が初めて聞かされたのは、1998年3月のことです。

現地は、歴史的風土保存地区、風致地区第二種区域に指定されていますが、市街化区域のため、法的には開発が可能です。しかし、北、西側を白川に、南、東側を住宅に囲まれており、まさか、山を削ってしまう開発計画が出てくるなど、住民にとっては「寝耳に水」でした。

開発計画は、白川に橋を架けて、北西側道路(志賀街道側)につなげ、侵入道路とするものでした。業者側は当初は開発計画の詳細をなかなか明らかにしようとしませんでしたが、その後明らかになった計画によると、山沿いの南東側の住宅地(銀閣寺前町)は、10メートルを超えるがけ下になったり、がけ上になったりするという、安全上も景観上も大変な状況になります。また、白川に橋が架けられて侵入道路となるため、北側(下池田町)、西側(東久保田町)の北白川の住宅地に、4トン車で延べ4000台ものトラックで土砂を搬出する計画であることが明らかになり、車両通行による騒音、振動被害も予想されるものであることが、明らかになりました。

もちろん、北白川一帯の住民にとって、市街地に残された貴重な緑(里山)が、これ以上開発され消滅していくのは、耐え難いことです。

全会派一致の請願採択

このような思いが広がり、地元の「半鐘山を守る会」、「北白川の自然と文化を守る会」が集めた「緑の保全」を求める請願は、5424筆の署名とともに、1999年3月、京都市議会に提出され、全会派一致で採択されました。

開発環境問題では、ほとんどの請願が、「継続審議」扱いで事実上無視されてしまう中で、全会派一致の採択は、吉田山の開発計画を中止させたときと同様、画期的なことです。

しかしながら、京都市は、請願の全会派一致の採択という状況にもかかわらず、都市緑地保全法に基づく緑地保全地区の指定等の積極的な保全策をとりませんでした。吉田山のときは、北側を買い取り、東側を緑地保全地区に指定するなど、最終的には保全しましたが、どうも(1)金が無い、(2)吉田山のような特別の価値が無い、というのが、その理由のようです。

しかしながら、(1)金が無い、というのは、ポンポン山の例のように業者の言いなりの価格(開発された価格)で買い取ることが問題であって、山林としての価格で買い取るべきなのです。また、(2)特別の価値が無いというのも、時代遅れの発想です。京都の市街地の中に残された「里山」は、市民にとってそれ自体貴重なものであり、ましてや半鐘山は東山36峰の1つなのです。

開発許可の問題点

請願の採択や粘り強い住民の山の保全を求める運動にもかかわらず、京都市は消極的な対応に終始し、とうとう業者の都市計画法に基づく開発許可申請を受理してしまいました。また、業者は京都府に対しても、橋を架けるための河川法に基づく許可を申請しています。

しかしながら、半鐘山を全面開発する開発計画は、開発許可基準や風致地区条例に基づく許可基準にも、到底合致しないものです。

まず、山の樹林を全部削って、しかも周囲を10メートルを超える擁壁で囲むことは、風致地区における建築物や工作物が、「その位置、形態、意匠が周辺の風致と著しく不調和でないこと」を求めている風致地区条例の趣旨と真っ向から矛盾しますし、開発許可基準が環境保全のために、「開発区域における植物の生育の確保上必要な樹木の保存、表土の保全その他の必要な措置」を求めていること(都市計画法三三条一項九号)にも合致しません。次に、山の緑を削って高い擁壁で囲む計画は、崖崩れや出水のおそれとの関係で「安全上必要な措置が講ぜられるように設計が定められていること」(同七号)に抵触する疑念があります。更に、橋を架けてまで土砂を搬出する道路は、幅6メートルを切り、しかも車両の通行に支障がある状況であるにもかかわらず、「6メートルを超え、車両通行に支障がない」として申請されているようです(二号)。加えて、業者の資力及び信用(一二号)にも、疑念があります。

粘り強い運動でストップを!

住民は開発許可をおろさせないため、粘り強い運動に取組むとともに、市が不当にも許可した場合には、開発許可を審査会が取消した一条山や東山白川の先例にも学び、開発許可の取消しを求めた審査請求を地域ぐるみで京都市開発審査会に求めることも視野に入れています。

重要な段階を迎えていますので、ご支援をお願い致します。


京都民報 2000年8月13日
「まきえや」2000年秋号