弁護士を目指したきっかけは?
両親はともに同志社大学法学部出身で、教師だった父親は教員仲間の裁判を熱心に支援し、土地家屋調査士の母親も平和や女性の権利のための活動を熱心にしていました。そんな両親の影響を受けて、幼い頃から弁護士や裁判に関する本をよく読んでいました。中でも冤罪事件として知られる名張(なばり)市毒ぶどう酒殺人(三重県)や、部落解放同盟による八鹿(ようか)高校教員集団暴行事件(兵庫県)など社会に大きなインパクトをもたらした事件や裁判は、弁護士を志すきっかけにもなりました。
また、中学生まで過ごした長崎の離島・対馬(つしま)は、過疎の島で医療や法的なサービスが十分とはいえません。子どもながらに、衣食住だけでなく、法的な救済を必要としている人の助けになりたいと考えていました。日本社会に潜む差別や人権侵害の問題を少しでも良い方向に変えたいとの思いで、長崎市の高校を卒業後、弁護士を目指して岡山大学法学部に進学しました。司法試験に合格するまでは、行政書士や司法書士の資格をとったり、資格試験予備校や司法書士事務所で働いたりもしました。でも、なかなか実現されない労働者や女性の権利を自らの手で獲得したいとの思いが募り、4回目の司法試験で合格しました。
司法修習では京都第一法律事務所に配属され、社会の様々な問題や裁判の事例を学ぶことができ、とても刺激的でした。
忘れられない、あの裁判
顔の傷の補償に男女差なし。京都地裁が下した違憲判決
1995年、勤務先の水蒸気爆発事故で大やけどを負った男性が、労災保険法の後遺障害等級表の「11級」に認定されました。しかし、被害者が女性ならより手厚い補償が受けられる「5級」認定となります。私たち弁護団の弁護士は原告の男性とともに男女平等を定めた憲法に違反するとして国の補償給付処分取り消しを求めました。2010年、京都地裁は「不合理な差別的取扱いは違憲」と判断。規則改正にもつながった歴史的な判決でした。
これからの目標は?
「理不尽な思いをする人がこれ以上増えないように」
弁護士登録以降、家庭内で暴力を受けたり、職場で不当な扱いを受けるなど、弱い立場に置かれた人を支援してきました。10代、20代の頃、私も女性への差別を実感した経験があり、声をあげられなかった悔しさが今につながっています。世界情勢の変化とともに、戦時下で増える暴力や性被害も気がかりです。これからも理不尽な思いをした人に寄り添い続けていきたいです。