京都第一

ダイイチNEWS02 ついに勝訴しました! 10年以上の全国的裁判 アスベスト訴訟で勝利に貢献

概要

2011年に京都での裁判が始まった建設アスベスト訴訟。建設現場でアスベスト建材を取り扱って、肺がん・中皮腫などの重い病気にかかってしまった建設作業者とその遺族が、建材メーカーと国を相手に損害賠償を求めた訴訟です。同じ種類の訴訟は札幌、仙台、さいたま、東京、神奈川、京都、大阪、福岡の各地で取り組まれる、全国的な動きとなっています。

京都で結成された、京都アスベスト弁護団のうち4人が京都第一法律事務所所属の弁護士です。弁護団の団長は村山晃弁護士が務めています。

この事件の歴史は古く、1980年代に京都の建設作業者がアスベストの危険性に気づき始めました。すぐにわかる火傷などと違い、アスベストは時間が経ってから症状が出ます。裁判をしようと建設組合が弁護士に相談したのが2000年代。数十年単位で、まだ進行中の事案でもあります。

全国各地で裁判に取り組む理由はどこにあるのですか?

今回の建設アスベスト裁判のように、いわゆる弁護団事件の場合、1つの裁判所に集約して裁判を行うのではなく全国各地の裁判所に裁判を提起して同時並行的に進めることがあります。

その理由は、1つには全国的な問題であることを広くアピールし、解決のために世論やマスコミも味方につけていこうということにあります。もう1つは、全国で連携しながら裁判をそれぞれ工夫して進めることで、少しずつ前進を勝ち取ろうということにあります。

この建設アスベスト裁判でも、2016年の京都訴訟の地裁判決と2018年の東京訴訟の高裁判決が大きなターニングポイントとなりました。それぞれ建材メーカーの責任と労働者ではない方に対する国の責任とが初めて認められ、2021年の最高裁判決につながったからです。全国各地で裁判に取り組む狙いが十全に実現したといえるでしょう。

谷弁護士が特に印象的なことは?

2016年1月に判決を迎えた京都訴訟では、プレッシャーを感じました。当時、神奈川、東京、福岡、大阪では判決が先に出ていて、建材メーカーの責任が認められず、控訴することが決まっていました。この段階で京都も負けてしまうと、全国的に流れが悪くなる。建材メーカーの責任を認めさせられるか、全国が注視していたのです。

職人さんは次々と現場を渡りあるくのが一般的のため、「どこの現場でどの建材を使ったか」を明確にできるかが難所でした。知恵を絞り、建築物の記録からたどって、どの建築物にどんな建材が使われているかを調査し、建材の市場シェア率をヒントに、可能性が高い企業をあぶりだしました。そして、健康被害を受けた職人さん一人ひとりの状況を照らし合わせたのです。

職人さんからすればその現場にいたのは何十年も前のことです。なかには亡くなっている方もいましたし、現場の状況を忘れてしまっている方もいました。私も建築や工法の勉強をして話すことで、職人さんがそこでの工程の記憶を呼びさますこともありました。粘り強さが必要な仕事でした。

小さな証拠をコツコツと集めて、建材メーカーの責任を初めて認めさせることができ、本当に嬉しかったです。

今後の展望を教えてください。

現在、アスベストの使用は全面的に規制されています。でも症状は何十年もしてから出てきますから、被害のピークはこれからともいわれます。しかし、職人さんには肺がんなどの病気になったときにアスベストが原因だと気づかない人もいます。気づいていない方にも、救済制度をきちんと利用してもらえるようにしたいですね。

また、最高裁では屋外作業について国等の責任が否定されて、被害者が線引きされるなど、課題は残っています。

「ダイイチ」2023年新春号