「ここまできた」でも「長かった」
5月17日、最高裁判所の判決は、マスコミで大きく取り上げられました。国と建材メーカー(以下企業と記載します)に賠償責任のあることが、司法で確定したのです。建設アスベスト被害者救済の道が確実に開かれました。
京都も裁判を起こして10年が経ちました。ここまで闘ってきた者の共通の気持ですが、「長すぎる」「遅すぎる」という思いと、「ようやくここまできた」という思いが交錯しました。
「原告は、私たちの代表選手」というのが、裁判を支えてきた全京都建築労働組合(京建労)の合言葉でした。その代表選手が多くの被害者に救済の道を開きました。
国との間で救済の合意が成立
これまで頑迷に解決を拒み続けてきた国ですが、最高裁判所の判決を受けて、解決に向けて動きました。判決の翌日5月18日に、国は被害者全体に対して、一定の枠組みは残りましたが、速やかに補償をしていくという約束を私たちにしました。
すでに発症している人たちだけでなく、これから発症する人たちも含めて、国が救済する仕組みを作ることとなったのです。
そして、私たちと国との間で、被害者への補償をしていくことを内容とした基本合意書が成立しました。
私自身、国が補償を約束する基本合意書の成立に立ち合い、厚労大臣らと連名で合意書に署名をしました。
裁判の道のり
提訴から10年。2016年1月には、京都地裁で、全国で初めて、国と同時に企業の責任を認めさせました。2018年8月には、大阪高裁で、25名の被害者全員を救済する画期的な判決を獲得しました。そして、この判決が、今回の最高裁判所の判決の礎になりました。
10年と言う歳月。何よりも辛かったことは、裁判の途中で亡くなった被害者が、一陣25名中、14人にものぼったことです。私にとっても、初めての経験でした。この事実こそアスベスト被害の深刻さを端的に示しています。裁判所で証言台に立って、国や企業に「生きているうちの解決を」と訴えた被害者が、証言した直後に、亡くなるという辛い思いもありました。すべての被害者が、自分の死と向き合って闘うことを余儀なくされてきた裁判だったのです。
それだけに、その裁判にかけた被害者の思いは間違いなく裁判所を動かしたのだと思います。
企業に責任を取らせる闘い
最高裁判所は、アスベスト製品を製造販売した企業も責任を負うべきであることを明確にしました。
しかし、「証明の壁」があって、認められた企業が限られています。また、どの企業が、どの被害者に、どこまでの責任を負うのかも、法律的には難しい課題になっています。そんな裁判制度を悪用して、どの企業も法廷で争う姿勢を変えていません。
このような企業の社会的責任をかなぐり捨てた姿勢に、新聞の社説も含めて強い非難の声があがっています。
すべてのアスベスト企業が国と共同して被害者を救済する制度を作らせること、これが喫緊の課題となっています。そして、そのためにも、企業相手の裁判闘争はこれからも続きます。
増え続ける被害者
建築にかかわってきたものであれば、誰もが発症する可能性を持っていて、その数は予想もつきません。しかも、アスベストによる被害は、曝露してから症状発生まで、10年から40年かかります。そのうえ、今後も建築物の解体作業があれば、そこで、新たなアスベスト被害を生む可能性を持っているのです。残念なことですが、被害者は、これからも確実に増加してくことが予想されます。
重篤な疾病を抱えた被害者に「裁判」という方法を選択させることなく、国と企業による被害者全員を対象とした補償基金制度の創設が強く望まれています。
むすびにかえて
現在、京都地裁では、2陣訴訟が続いています。国との間では一定の解決の枠組みができましたが、2陣訴訟の原告全員を救済の対象にさせることができるかは予断を許しません。何よりも企業は解決に動こうとしていません。
2陣原告の早期の救済と、今回、最高裁判所が排斥した屋外工を含む被害者全員の救済に向けた制度の構築が、当面の大きな課題になっています。