特集:歴史的勝利判決!関西建設アスベスト京都訴訟
ダイジェスト版です!完全版は当事務所の55周年記念誌(秋発行予定)に掲載されますので、そちらもご覧ください。
写真は後列左から、巽氏、谷弁護士、酒井氏
前列左から、村山弁護士、吉岡氏、長野氏、徳本氏
関西建設アスベスト京都訴訟について、原告団共同代表長野氏、京建労本部より執行委員長吉岡氏、書記長酒井氏、元書記長徳本氏、書記巽氏にお越しいただき座談会を行いました。弁護団からは村山弁護士と谷弁護士が参加。
いのちがけで掴んだ全面勝利判決を振り返って
谷 :1月29日、建設アスベスト訴訟で全面勝訴判決を勝ち取りました。いま改めて、どのような想いでしょうか。
長野:先生方には大変お世話になりました。おかげさまで大変よい結果になったと思います。国の責任が4度、企業の責任が初めて断罪されました。本当に嬉しいです。
吉岡:一番感動したのが報告集会です。ベテランの仲間の目に涙がありました。本当に嬉しかった。
村山:国にも勝ったし、何よりも企業責任を認めさせることができました。しかも単なる風穴ではなく、何人もの人が通れる大きな穴です。やっぱり京建労の力というのはすごい。
長野:残念なのは、勝利判決を聞くまでに、原告団長の寺前さんをはじめ原告26人中16人が亡くなられたということです。
酒井:組合としても本当につらい闘いになっています。でも、悲しみをこらえて遺族の方が志を継いでくれたことで、さらに団結力が高まり、進み続けることができました。
村山:ここまでくれば、後はどれだけ早く高い水準での解決を導くかということになります。
吉岡:裁判だけでなく、政治の力も使い、一人親方も含めた早期解決を目指すつもりです。
勝利の鍵は「京建労を挙げた取組み」
谷 :この歴史的勝利判決を勝ち取ることができた要因は、どこにあるのでしょう。
吉岡:「原告は代表選手」と京建労を挙げて取り組んだことが大きかったと思います。
酒井:被害者とか原告とかいうより、組合の仲間という思いが強いですね。だからこそ組合全体で支え、団結して5年間を闘うことができました。
吉岡:誰が病気になるかわからないということも大きかったと思います。
酒井:原告が必死になって闘っている、これから仲間に被害が広がらないようにがんばる姿に、みな心を打たれたんだと思います。
吉岡:原告団長の寺前さんも、自分は一人親方だから(判決による救済は)難しい。でも、他のみんなのためにがんばらないといけないということを一生懸命言っておられました。
全ての原告と吉岡委員長が法廷で証言
谷 :ところで、実際に裁判を始めてみていかがだったでしょうか。
吉岡:とにかく長い闘いになったとは思いました。でも、国や企業の代理人が尋問で言ってくることは毎回毎回同じでしたけどね。
村山:相手の代理人から尋問のたびに何回も「京建労」という言葉が出ましたね。組合員やったらアスベストの危険性がわかっていただろうと主張したかったようです。
長野:自分たちのことを棚に上げて、そんないい加減な話があるのかと腹が立ちました。
徳本:同じ質問を繰り返すしかないということは、彼らも決め手がないのだろうと感じました。それだけ押し込んでいるのだと思いを強くしました。
村山:東京地裁判決で国の責任が認められ、泉南アスベスト訴訟では最高裁で国の責任が認められました。こういった闘いが、京都で結実したのです。
吉岡:全国から集まった数十万の署名も、裁判所の背中を強く押してくれました。
谷 :長野さんは、裁判を闘ってみてどうですか?
長野:とにかく長い!でも、弁護士さんがこんなに優しいとは思わなかった(笑)。もっと怖い人達かと思っていたのですが。
酒井:長野さんの担当は第一法律の大河原先生ですからね。
巽 :美山まで足を運び、何度も聞き取りをしてくれました。
吉岡:大河原先生の人柄ですね。
谷 :吉岡委員長には、専門家証人として建設現場の状況などを証言して頂きました。どうでしたか?
吉岡:尋問に向けての谷先生の訓練の時が一番しんどかった(笑)。でも、実際に尋問を受けた時はかなりその通りの流れになりました。むしろ想定問答よりだいぶ易しかったね(笑)。
村山:吉岡さんの陳述書や証言の多くはちゃんと判決で採用されています。やった甲斐はあったと思います。
酒井:委員長が堂々と証言されるのを見て、組合としても勇気づけられました。
2週間の判決行動
谷 :判決行動では、大阪判決の1月22日から1月29日の京都判決をはさんで2月5日の院内集会まで、びっしりと行動が組まれました。
酒井:原告も、皆さん積極的に参加してくれましたし。
谷 :いきなり大雪で新幹線が2時間遅れるなど大変なこともありましたが、全国の皆さんにも支えてもらって判決行動は大成功でした。
酒井:2月2日のニチアス包囲行動ではなんと1000人が集まりました。京都判決でニチアスの責任が認められたということもあって大いに盛り上がりましたね。
巽 :村山先生にも弁護団長としてマイクを握って頂きました。
村山:交渉に応じないどころか会おうともせず、書面すら受け取らない、本当にひどい会社です。一番責任を負うべき企業なのに。世論にも訴えて攻勢を続けていきましょう。
全国に先がけて問題提起していた京建労
谷 :実は、京都とアスベスト問題は深いつながりがあります。1980年代に日本で初めてこの問題を提起したのが京建労だったのです。
徳本:きっかけは山科支部からの問題提起でした。こんな危険な物質を組合として放っておいていいのか、とね。
酒井:まずは実態調査から始めたんですよね。
徳本:ええ。アスベストは目に見えませんから、実際にどのくらい曝露しているのか実態調査をしたんです。その結果、建設現場で組合員が非常に危険な状態にあるということが見えてきました。次はアスベストの入った建材の調査ですが、これがまた大変でした。
吉岡:「アスベストが入っています」なんて表示されていませんからね。そんなことを書いたら買う人がいなくなるということでしょう。
徳本:メーカーは絶対に言いませんでした。それで、一つ一つ資料をひっくり返して確認していったんです。すると、アスベスト建材が周りにあふれていることが分かりました。
巽 :そうした取組みが、京建労のアスベスト対策の原点になったわけですね。
徳本:はい。1986年には大会でアスベストの全面禁止を決議し、NHKにも取り上げられました。
村山:判決で京建労の調査結果が引用されているように、当時の取組みが今回の全面勝利判決につながったことは間違いありません。
徳本:京建労の運動を契機に国会で禁止法案を提出するまでになりましたが、メーカーなどの強い反対で実現しませんでした。企業というのは本当に罪やね。
谷 :1980年代に取り組んでこられた徳本さんから見て、今回の判決はいかがですか?
徳本:とにかく感無量です。原告団の人たちが巨大な相手と闘い、なおかつ自分の健康とも闘い、全面勝利判決を勝ち取ったんですから。本当に頭が下がる思いです。原告団、弁護団の団結が今日の勝利に結びついたと思っています。
「いのちあるうちの解決」めざし闘い抜く
長野:企業は判決を受け止めず、あっという間に控訴しました。心から怒りを覚えます。
谷 :責任を逃れようとなりふり構わぬ対応に出ています。許せませんよね。
村山:そうした無責任な姿勢を批判し、闘い続けましょう。高裁でも流れは変わらないと信じています。
谷 :マスコミ報道、世論も不動のものとなっています。
村山:ただ、国民の生命・健康よりも産業発展を優先させた泉南一陣高裁判決のようなことも起こるんです。
巽 :気は抜けないということですね。
吉岡:「いのちあるうちの解決を」という願いは本当に切実です。一日も早い全面救済を実現しなければ。
長野:原告団としても、またこれからがんばろうという気持ちです。
吉岡:京建労も、全面解決まで全力で闘います。
村山:もちろん弁護団もです。これからも一致団結して闘い抜きましょう。
全員:はい!!