[事件報告 5]
JMIU向井事件
この事件は、2001年11月、染色仕上加工機の老舗「京都エステート(旧:京都機械株式会社)」が、たった一人残っていた労働者である向井さんに通告した、「整理解雇」の効力を争った事件です。
工場閉鎖、全労働者解雇の強行
当時、会社は、「ジャスコ」から年間9億を超す莫大な賃料収入を得ていましたが、2001年6月、一方で売上げが落ち込んだ機械部門の工場を閉鎖し、労働者を全員職場から放逐しようと画策してきました。向井さん以外のすべての労働者が、泣く泣く希望退職に応じ、あるいは著しく労働条件を切り下げられて新しい会社に再雇用されていきました。しかし、向井さんはこのような会社の一方的な首切りに断固として反対し、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)に加入して、組合とともに最後の労働者として闘ってきたのです。
「整理解雇」は無効、向井さんの全面勝訴
会社からの「整理解雇」の通告後、向井さんは裁判に立ち上がりました。1年半後、京都地裁は、「整理解雇を回避するための努力」も「組合との誠実な交渉」も、会社が行ったとは到底いえないと判決を下し、向井さんは全面勝訴しました。その後、会社は控訴したものの2003年12月、向井さんの勝利的和解が確定しました。
なりふり構わぬリストラの嵐が吹き荒れる中で、筋を通した権利主張が裁判所に認められたのです。第1審の判決は、事実上筆頭株主の責任まで認めた画期的判決でもあり、京都の労働運動にとっても大きな意義を有するものとなりました。
「京都第一」2004年新春号