京都第一

憲法問題とイラク派兵

憲法問題とイラク派兵

外交官殺害事件後の二つの対立する流れ

昨年11月29日、イラク北部のティクリートの郊外で、日本人外交官二名とイラク人の運転手一名が殺害されるという悲しい事件が起こりました。このニュース以後、日本では、大きく二つの動きが起こってきています。

一つは、自衛隊のイラク派遣をストップさせ、アメリカの無法な攻撃・占領の誤りを指摘し、アメリカ軍の即時撤退と国連による平和的な復興を求める動きです。この動きは、昨年一年間、イラク攻撃、有事法制、自衛隊のイラク派遣という一連の流れに対して、世界の世論とともに反対の声をあげてきた、その大きな運動の中にあります。そして、私たちも、世界の人々とともに平和を求め、アメリカによる無法な戦争と占領、それに加担する自衛隊のイラク派遣に強く反対し、その声をあげています。

これに対して、もう一つ、危険な動きが見えてきています。

小泉首相は自衛隊のイラク派遣を正式に決定しました。「テロには屈しない」などと、正義を振りかざしているように見えますが、実際は、日米同盟が派遣の理由となっています。まさに、アメリカとイラクとが戦闘状態にあるイラク国内に、アメリカを支援する立場で入っていくものに他なりません。

そればかりではなく、石原東京都知事などは「自衛隊がもし攻撃されるなら、堂々と反撃して殲滅したらいい」などと、自衛隊がイラクで殺害行為を行うことを容認する発言をし、一部マスコミも、自衛隊のイラク派遣にあたり、さらなる武装化を論じるなど、非常に危険な動きになりつつあります。

イラク攻撃の無法性

思えば、昨年3月、アメリカのブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを理由にしてイラクへの攻撃を開始しました。

当時、国連の査察委員会がイラク国内における大量破壊兵器の査察を継続している最中であり、同委員会のブリクス委員長が査察の継続を求めていたにもかかわらず、一方的に攻撃を開始しました。イラク攻撃にあたって、アメリカは、一旦は国連決議を得ようとしましたが、他の国々の同意が得られないと知るや、その方針を捨てて攻撃開始に踏み切ったのです。

これだけを見ても、アメリカのイラク攻撃に正当性がないことは明らかなのですが、そればかりではなく、イラク攻撃開始後も、イラク国内からは大量破壊兵器は一切見つからず、劣化ウラン弾やデイジーカッターなどの大量破壊兵器を用いて虐殺を行っていたのは当のアメリカ自身であり、その無法性、不当性は日ごとに明らかになるばかりでした。そして、いつの間にか、イラク攻撃の理由が、大量破壊兵器の存在からフセイン政権の打倒へとすり替わっていたのでした。

この無法、不当なアメリカのイラク攻撃、イラク占領に対して、日本政府は終始一貫して賛成、支持しています。そして現在、イラクに自衛隊を派遣して、イラク占領に対して現実に加担をしようとしているのです。

憲法九条を改正しようとする危険な動き

自衛隊のイラク派遣を推進しようとする危険な動きに呼応して、憲法九条を改正しようとする勢力もその動きを強めています。

自衛隊のイラク派遣を推進する勢力は、アフガニスタンに続いて自衛隊を海外に派遣し、海外派遣を積み重ねていくことで、自衛隊の恒久的な海外派遣立法に道を開き、事実上、憲法九条無視の政策をとるとともに、そのことによって、憲法九条改正への障害をなくしていこうとしており、非常に危険な動きになっています。特に、石原発言などは、憲法九条が禁じる海外での武力行使を正面から容認するものであり、決して許されるものではありません。

そして、2005年、自民党は憲法改正案を作成して発表することを表明し、国会の憲法調査会は、一定の結論を得ることになっています。

今年、憲法をまもる大きな国民世論を

そのような状況の下、来年、日本国内では、憲法を巡って大きな動きが起きてくることは避けられません。それまでに、憲法をまもる国民世論をどれだけ喚起できるかが、私たちに問われています。

この間、イラク攻撃や有事法制、自衛隊イラク派遣に反対する市民の広い共同の動きが展開されてきました。しかしながら、現実の政治の場面においては、現行の憲法を変えることを政策に掲げる政党が国会の9割以上を占め、憲法は危機に瀕していると言わざるを得ません。

しかし、憲法をまもるのか変えるのかについては、私たち国民一人一人が最終的な判断を行うことになります。国会議員だけで憲法を変えてしまうことはできません。今年、憲法のもつ、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という大きな価値を改めて見直して、国民一人一人にその価値を知らせ、憲法改正を許さない運動を広めていきましょう。

2003年12月10日(水)京都新聞

「京都第一」2004年新春号